豚バラがなくても、人生は続くらしい。

豚バラが…
いない。

夕方の店内は縦横無尽に
人と、勤勉な猫型ロボットが行き交い
すでにカオスだ。

テーブルは、ほぼ埋まっていて
鍋から湯気が立ち上っている。

メニューを開いた瞬間、
私は固まった。

え?
ない。

いやいや、
あるやろ。

小さい文字とか。
期間限定ページとか。
別料金コースとか。

何回もメニューを見た。

でも、
いない。

めちゃくちゃ見やすくリニューアルされてるメニュー。

だから余計に、
“存在しない”
ことがわかる。

豚バラ、
完・全・消・滅。

そんなことあっていいのか。
神様。あんまりです。

「なんかさ、
 本人はとりあえず退院して
 家帰りたいって言ってるのにさ。
 病院としては色々サービスすすめるんよ」

「そっか。
 豚ロースか…豚肩ロースもありか…」

完全に
“敗北の豚ロース”
である。

「もちろん必要なんは、わかるんやけどな」

「うん、わかる。
 いや、待て…
 ここは日頃は食せぬ牛という選択肢も…」

「これでいいんかな?ってなる。
 この仕事向いてないんかな」

福祉の基本は“本人主体”だ。

その基本原理は
どこまでいっても変わることないし、
変えてはいけない。

でも現場には、
制度もある。
加算もある。
経営もある。

そこにはリアルがある。

もちろん、
みんな悪気なんかない。

むしろ真面目。

めちゃくちゃ真面目。

だから余計に、
簡単に白黒つかない。

「向いてるって何なんやろね」

今の障がい者グループホームで働く前
私は老健で相談員していた。
だから、なんとなくわかる。

…いや、
なんとなくじゃないな。

「うわ〜〜〜〜」
ってなる感じ、
めちゃくちゃわかる。

昔、
ある講師の先生が言ってた。

ー支援がうまくいったと思った時ほど
相手と心が離れているー

って。

でも、
ちょっとわかる。

「完璧やん私」
って思った時ほど、
相手より
自分の理想を見てることがある。

ーほんまにこれでよかったんかな?と
思うくらいでちょうどいいー

だから最近、
私はあんまり急いで答えを出さなくなった。

もちろん、
悩んでる時は苦しい。

早く抜けたい。
スッキリしたい。

でも人生って
あっちにぶつかり、
こっちにぶつかり、
いっぱいいっぱい
傷をつくりながら進むものなんだと思う。

無傷では無理。

その傷の中でしか、
身につかないものもあるのだから。

豚ロースって普通にうまいな。

もちろん、
豚バラは恋しい。

でも、
だからって、
豚ロースが偽物になるわけじゃない。

普通にとかいうな。

ちゃんとうまい。

今、目の前にあるものを
ちゃんと味わえるって
なんか大事な気がする。

向いてるとか、
向いてないとか。

ふさわしいとか、
ふさわしくないとか。

そうやって悩むことって、
そんなに悪いことじゃない。

きっと、
そうやって悩んでしまうこと自体、
大事に思ってるってことなのかもしれない。

本当にどうでもいいものに、
人はそこまで葛藤しない。

向いていても、
向いていなくても。

ふさわしくても、
ふさわしくなくても。

そんなことを本気で考えてしまうくらい、
きっと
すごくすごく大事なんだと思う。

制限時間が近い。

もう、お腹がはちきれそうだ。

もちろん、
豚バラは好きだ。

でも、
今ここにあるのは、
豚ロースなんだ。

で、
その豚ロースが、
ちゃんとうまい。

豚ロースは、
豚バラにはならない。

でも、
豚ロースは豚ロースとして、
今、私を満たしてくれる。

豚バラがなくても、
案外人生は続くらしい。

ありがとう豚ロース。

豚バラがなくても、
人生は素晴らしい。

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