『山茶花回廊とコールドムーン』

こんばんは
今宵も月が綺麗だね。

ぼくは
黒ウサギのルー

ここは物語がそっと眠る
小さな図書館。
綺羅星館キラボシカン

北風が冷たい
こんな夜は
ランプの灯りに包まれて
物語のページを開いてみよう。
誰かの願いや
小さな勇気のかけらが
君を待っているよ。

さあ、扉を開けて——
月明かりに導かれ
素敵な冒険に出かけよう。


山茶花さざんか回廊とコールドムーン』

ぼくは月。

空は青く沈み
花たちはそっと
息をひそめている。

今宵は満月
コールドムーン。

冷え切った夜の闇を縫うように
一匹の猫が
辺りをキョロキョロ見回しながら
山道を登っていた。

「やあ、こんばんは。お散歩かな?」

まるで絹のように
滑らかな
ムーンライトグレーの毛が
ぼくの光を受けて淡く輝いた。
猫は不意に聞こえた声に
小さく身じろぎし
驚いたように振り返ったが
すぐにホッとした表情を浮かべた。

「お月様でしたか。こんばんは。」

振り返ったその顔を見たとき、
ぼくは、すぐに気がついた。
吸いこまれそうに澄んだ
エメラルドグリーンの大きな瞳。

「やあ。
 君は青い屋根の
 おうちにいる猫だね。
 でも、どうして
 こんな所にいるんだい?
 迷子になったのかい?」

ぼくは飼い猫である彼が
こんな夜に
山道を歩いていることが
とても心配になった。

「ぼ、僕を知ってるのですか?
 僕はルナといいます。」

ルナは
少しためらいがちにこう言った。

「相棒には内緒です。
 心配させたくないから…」

彼の瞳には
小さな灯のような決意が揺れていた。

ふと、大切そうに
胸に抱えているものに目が留まった。

「胸に抱えているのは…お花?」

それは
まるで柔らかな夕焼けのように
美しく揺れるサザンカだった。

「この子はソル。少し前の
 風が強い日のことです……」

ルナは、フッと息を吐くと
静かに話し始めた。


僕は猫。

ロシアンブルーって
いうらしいけど
正直、僕にはよくわからない。
だって僕にはルナっていう
素敵な名前があるからね。

冷たい北風が吹く朝。
僕はお気に入りのかごの中で
ぽかぽか
まどろむように揺れていた。

その時、窓辺に
一輪のサザンカが置かれたんだ。

静かに咲くその花は
凛と美しかったけど
僕には
どこか心細そうにみえた。

だから僕は
何かしてあげなきゃって思ったんだ。

だって冷たい水の中だろ。
寒いといけないから
毛布をそっと掛けてあげたんだ。
花びらを
よしよしして遊んであげたり
ぺろぺろ舐めてあげたりね。
そうそう。
僕の大好きな
おやつも分けてあげたよ。
ちょっぴりだけどね。
毎日、僕は大忙しさ。

だけどね。

サザンカは
一度も笑ってはくれなかった。

「何かしてほしいことはない?」

僕が尋ねても
静かに佇むだけだった。
僕はふと思った。

「そういえば…君の名前は?
 名前がないのは寂しいよね。
 僕はルナ。
 輝く月の名をもらったんだ。」

そっと花びらに鼻先を寄せた。

「“ソル”ってどうかな?
 太陽っていう意味だよ。
 あたたかな光を持つ君に
 ぴったりだ。」

ソルは
変わらず静かに佇んでいたけれど
僕にはほんの少しだけ
花びらが
嬉しそうに美しい光を
放ったように見えたんだ。

その夜、ぼくは
ふかふかの毛布の上で
丸くなっていた。

ぼくの家にはね。

二本足で歩く
見た目がぜんぜん違う
不思議な生き物がいるんだ。
だけど
すぐに落ち込むし
すぐにあたふたするから
ちょっとだけ
世話を焼くのも
悪くないなと思っている。

そんな手のかかる相棒が
図書館で借りてきた本を
いつものように
僕のそばで開いたんだ。

そこには、こう書かれていた。

満月の光無くば目には映らず、
精霊の導き無くば一歩も進めず。
されど、辿りつく者あらば
想いは月へと舞い上がり
そっと、ひらかれん、願いの扉
——山茶花回廊——

「山茶花回廊……」
 
そのとき、ふと思った。

もしかしたら
ソルには
叶えたい願いがあるのかもしれない。

僕は
窓辺のソルをそっと見つめたんだ。


ルナは話し終えると
ぼくを見上げてこういった。

「お月様。
 僕はソルを山茶花回廊へ
 連れて行ってあげたいんです」

ルナの真剣な瞳に
胸の奥がじんわり温かくなった。

しかし、その場所は
願いを抱く者をただ通すことはない。
慣れない足取り、
冷たい北風、夜の深い闇……

守ってあげたい。
――でも、
今は彼自身が進むべき時だ。

「大丈夫。君なら行ける」

ぼくは
山道を一歩ずつ進んでいく
ルナの背中を月光で
静かに照らした。

やがて、足もとで
ぬるりと何かが揺れた。
それは
黒く静かな沼だった。
けれど
水面は波ひとつ立たず
ぼくの光も星も映さない。

沼は優しく低い声でささやいた。

「もう、十分がんばったんじゃない?
 誰も君を責めたりしないよ」

その声は
まるでルナの胸の奥に
潜む迷いそのものだった。
足が重たく沈みはじめ
心ごと引きこまれそうになる。

ルナは胸に手を当て
大きく深く深呼吸をした。
ソルと過ごした温かな時間が
心の奥底で揺らめく。

「……行くよ。
 僕は、ソルの願いを叶えたいんだ」

その瞬間、
沼のささやきは静まり
黒く重たかった水面に
道しるべのような波紋が
そっと広がった。
それはやがては
沼の奥へと細い道を描き
白い光がふわりと立ち上がった。
ルナは
その光に導かれるように
沼を抜けていった。

沼を抜けると
スレート色の野薔薇が
ひそやかに絡まる茂みが現れた。
月明かりに揺れる棘は
風もないのにざわざわと震えている。

——ずっとそばにいたい
——でも自由にしてあげたい

どちらも
やさしい気持ちのはずなのに
その優しさが痛みに変わりはじめた。
そして
胸の奥に潜む寂しさを
呼び覚ますように
茨がルナの手足にきつく絡みついた。

ぎゅっと目を閉じ
ルナは立ち止まった。

痛みも寂しさも
どっちも
大事な気持ちなんだ。
この痛みを
抱えているからこそ
本当に進むべき道を見失わない。

深く息を吐いた瞬間、
茨は力を失ったように
ほどけていった。
やがて
茨はアーチのように頭上でつながると
野薔薇はルビー色に輝いた。
そして
アーチからこぼれ落ちる光が
ルナの肩にそっと触れると
白く光を放った。
ルナはその温もりを感じながら
前へと進んだ。

野薔薇を抜けると
道は急に狭まり
足元も険しくなった。
岩が積み重なり
薄い霧が覆う壁が立ちはだかる。
ぼくの光を受けて
ルナの影が岩肌に長く伸びる。
影はゆらゆらと揺れると
まるで
“もうひとりのルナ”のように
ゆらゆらと立ち上がった。

影は、静かに問いかけた。

「ソルはあなたより
 大切なものがあるのよ。 
 それでもいいの?
 知るのが
 怖いんでしょう?」

影は、ルナがずっと見ないふりを
してきた恐れそのものだった。

胸の奥がチクンとした。
それが苦しさなのか、
ソルの願いに
気づいてしまった切なさなのか、
自分でもわからなかった。
ただひとつ——
本当に大切なものほど、
手放すときに
胸を鋭く刺すのだと知った。

ルナはゆっくりと影に向き合った。

「……こわいよ。
 だけどね、
 ソルの願いを見守りたいんだ。
 ぼくの願いよりも
 ソルが幸せで
 いてくれるほうが大事なんだ」

影はふっと笑ったように見え
夜の闇に溶けていった。
ごつごつした岩壁に
裂け目が生まれ
優しい光が差し込んできた。

ルナが踏み出すと
その光はふわりと舞い上がり
ルナとサザンカを
包むように白く輝いた。

白い光たちは
ひとつは水面のように揺らめき
ひとつは花のきらめきを宿し
ひとつは風の粒子を纏うと
ふわりと夜空へ舞い上がり
ぼくの光とそっと重なった。

光が寄り添うように溶けあうと
光の帯が現れ
ゆっくりと伸びていく。

その帯は静かに揺れながら、
かたちを結び、
“扉”の輪郭をきらりと描き出した。

扉をそっと押しひらく――
そこには
花びらが舞い
甘い香りがささやくように揺れる
山茶花回廊 が広がっていた。

それはまるで、
ソルを迎えてくれているようだった。

「ここが……
 願いが叶う場所なんだね。
 仲間のところへ帰れるんだね。
 ソルの願いが叶うなら……
 幸せなら、それでいいんだ。」

ソルは淡く光り
花びらをひとひら、
ルナの胸へ落とし
光の中へと溶けていった。

「ありがとう。」

それが
最初で最後の言葉だった。

ルナはしばらく立ち尽くしていたが
やがて踵を返した。
胸の奥に
温かい空洞を抱えながら。

別れは寂しい。
そして痛い。
けれど
願いが叶う扉は
思っていたより
ずっとずっとあたたかかった。

今夜の光はいつもより
少し切なくてやわらかいだろ。

ぼくは
ただただ黙って
小さく震える
ルナの背中を照らし続けた。


三日月が
冷えた空に細く光る夜、

今日も僕は
お気に入りのかごの中で
ゆらゆらまどろむように揺れている。

おや?
いつもより、慎重な相棒の足音に
僕は耳をピクッと立てた。
僕はひょいと籠から下りると
そっと足元へ近づいたんだ。

「ルナ。見て。かわいいでしょ。」

柔らかく光るゴールドの瞳が
少し頼りなげに僕を見つめていた。
それでも
月明かりを受けて光る
その瞳には
凛とした
小さな強さが宿っていた。

子猫はかすかに喉を鳴らし
そっと顔を近づけてきた。
鼻先が触れ合った瞬間
ふわりとぬくもりが伝わってくる。

柔らかな夕焼けのような
サンセットオレンジの毛は
月光を受けて
ほのかに赤みを帯びると
夜の静けさの中でそっと輝いた。

どこか懐かしい匂いと温かさ——
僕は思わず息をのんだ。

「ルナはね。
 とっても頼りになる優しい
 お兄ちゃんだから大丈夫だよ」

相棒はうれしそうに
僕たちの背をそっと撫でた。

 「今日から家族だね。
 ようこそ、ソル。」

illustration by うふうさぎ

今日のおはなしは
どうだったかな?

大事なものは
いつもそばにあるとは限らない。
それでもね――
幸せを願う気持ちは
かならず届くと信じているんだ。
月の光みたいに、静かにね。

だからさ。
ぼくの願いは
叶わなくたっていいんだ。
だって
君が笑っていてくれたら
もう、それだけで
ぼくは幸せなのだから。

月明かりの下、
今日も
そっと祈ってるよ。

君の毎日が
温かな光で包まれますように。

次の星降る夜も、
また素敵なおはなしを
用意して待ってるね。
楽しみにしていてね。

黒ウサギルーの月夜のおはなし会
星空庭園の小さな図書館、綺羅星館。満月の夜になると、黒ウサギのルーがおはなし会をひらきます。月明かりの下でひらかれる、花と命と、小さな願いの物語。さあ、今夜はどのおはなしを開こうか。